上町台地は、六千年ほど前は、きらめく大阪湾内に、腕のように北に向かって
突き出て起伏に富んだ緑豊かな台地でした。そして、その台地を舞台に、大阪の
文化が開け、人々の営みが行われてきました。
しかし、今では右の航空写真に見られる如く、『昨日(こぞ)の丘 今日(けふ)の
八(や)ちまた[ 寿岳文章作詞 ] 』で、全く市街地化しています。
航空写真
でも、よく見ると、緑の森が幾箇所かあります。それが、古墳やもと熊野街道沿
いの寺社や公園であったりします。平面のように見える土地も歩いてみると起伏に
富んでいます。
今回は、上町台地西南の貴重な森を訪ねて歩き、上町台地を実感し、この台地
に残る古墳や史跡、もと熊野街道沿いの家並み等を見学しました。
日時: 平成15年6月7日(土) 13:00〜
参加者: 27名
探訪ルート: 地下鉄・玉出駅⇒帝塚山古墳阿部野神社晴明丘中央公園
        ⇒もと熊野街道阿倍王子神社安倍晴明神社⇒東天下茶屋
        駅⇒松虫塚聖天山古墳天下茶屋公園⇒地下鉄・岸里駅
探訪ルート
(右の写真をクリックすると拡大写真が見られます)
地下鉄四つ橋線・玉手駅集合風景      (H15-6-7)
(以下画像をクリックすると拡大写真が見られます)
(1) 帝塚山古墳 (阿倍野区帝塚山西2丁目)
市内3大古墳(茶臼山、御勝山(オカチヤマ)、帝塚山)の一つで、4〜5世紀に築造
された唯一の前方後円墳で、昭和38年(1963年)に国史跡に指定されている。
墳丘の規模は、前後長径88m、前方部長径39m、後円部径49m、高さ9mで、主
軸を西南方向にとる二段築成の古墳である。
被葬者は、古典から、この付近に居宅のあった豪族の大伴金村(オオトモノカネムラ)
ではないか等の諸説がある。
(2) 阿部野神社 (阿倍野区北畠3丁目) 
北畠親房(チカフサ)・顕家(アキイエ)父子が祭神。
明治15年1月創建。
昭和20年3月の戦災で焼失したが、昭和
31年再建された。
阿部野神社境内
阿部野神社社殿
(3) 晴明丘中央公園 (阿倍野区北畠1丁目)
阪堺電軌・上町線の「北畠」ー「姫松」間の道路に面した市営公園。
サクラ、クスノキ、センダン、ヤマモモ、アオギリ、アラカシ、ユーカリ、
エノキ、クロマツなど樹木の豊富な公園である。
公園内のユーカリ
(4) もと熊野街道
熊野街道は、窪津(中央区八軒家付近)から阿倍王子を経て、紀伊路
を南下して熊野三山に至る古道で、平安から鎌倉時代にかけて、熊野
信仰の隆盛とともに往来が盛んであった。
街道筋には多くの休憩所、遥拝所が設けられ、それらがいつしか社祠
(しゃし=やしろ・ほこら)となり、それらを総称して熊野九十九王子(くまの
つくもおうじ)というようになったが、江戸時代には熊野街道はさびれ、今
は阿倍王子神社付近にわずかながら往時の姿をとどめている。
阿倍王子神社の鳥居横に残る「もと熊野街道」碑
(5) 阿倍王子神社 (阿倍野区阿倍野元町)
仁徳天皇の創建と伝えられ、祭神はイザナ
ギの命(みこと)、イザナミの命、スサノオの
命。
熊野九十九王子の第二王子で、境内には
熊野街道の名残をとどめ、保存樹になって
いる4本のクスノキのご神木がある。
阿倍王子神社社殿
阿倍王子神社境内のご神木の「クスノキ」
(6) 安倍晴明神社 (阿倍野区阿倍野元町5)
平安中期の陰陽師・安倍晴明を祀る神社。
旧社殿は、寛弘年間の創建と伝えられるが、現社殿は大正14年に建立
されたもので、第2次大戦の戦災をまぬがれ、災い除けの神社とされて
いる。
葛の葉子別れの地として知られ、境内には、晴明の母と伝わる「狐像」が
祀られている。
安倍晴明神社境内の「狐像」
(7) 聖天山古墳 (阿倍野区松虫通3丁目)
聖天山公園内の北東部に現存径13mで存在する小古墳。
外周を高さ3m程の石垣で保護され、中に大きなクスノキが1本立って
いる。
6世紀時代のものといわれ、昭和26年に採土中に石室が発見され、
埴輪、土器、直刀、馬具などの遺物が出土したといわれているが、
出土遺物は行方不明になっている。
聖天山古墳(中央奥)
(8) 天下茶屋公園 (阿倍野区岸里東1丁目)
昔、薬屋であった「是斎屋」(ぜさいや)の跡に造られた公園である。
明治天皇が、休憩に立ち寄られたことを遺す碑が、公園内に建てら
れている。
右の碑は、公園の中央付近にある「明治天皇駐蹕遺趾」(めいじて
んのうちゅうひついし)である。
天下茶屋公園内「明治天皇駐蹕遺趾」の碑
幸い天候に恵まれ、約6km、2時間半の探索を無事終了しました。お疲れ様でした。
ご協力頂きました皆様有難うございました。
CVV 担当一同