天から降ってくる雨、その雨は高いところから低いところへ、陸地の一部を侵食しながら流れ落ち、やがて
水の道、即ち川となって海に注ぎます。海はこの侵食された土砂によって次第に河口部分が埋め立てられ、
陸地が広がり、そこに新しい人々の生活が、又、文化が芽生えます。私たちが今住んでいる大阪市もこのよ
うな自然の動きの中から出来上がったに違いありません。
今回の見学会は、このような自然の動きを、大阪市南部に絞って現場を歩きながら考えることにしました。
以下、見学会の報告です。
日時: 平成16年11月4日(木) 13:30〜
見学場所: 住吉大社→高灯篭→細江川→住吉川→住之江下水処理場→住江抽水所
参加者: 33名
[ 昔の大阪 ]
(黒い部分が海面)
出発地の住吉大社の境内で、本日のCVVのガイドリーダーの
廣海さんから出発前の説明を聞く参加者の皆さん  
(画像をクリックすると大きい画像が見られます)
(1) [ 住吉大社 ]
今から約1700年位昔は、住吉大社の西の住吉公園、国道26
号線を渡った付近は「住吉浦」と呼ばれ、その辺りまで大阪湾の
海面がありました。そして、このあたりは松林が南北に伸び、日本
で最も古いといわれる貿易港がありました。
住吉神社は、従って、海の神を祀る神社、航海の安全を祈る神
社であったわけです。私達が歴史で学んだ遣唐使も、この港から
船出したのではないかといわれ、万葉集にもそれを推測させる歌
が残されています。
住吉大社の太鼓橋
(画像をクリックすると大きい画像が見られます)
(2) [ 住吉の高灯篭 ]
住吉浦の港に、行きかう船の目印として、今の灯台に当たる高灯篭が
建設されました。高さは5丈3尺、(約17.5m)あったとされ、その上からの
眺めは、東は金剛、葛城山を望み、南は大仙稜を、西は満々たる大阪湾
のきらきら輝く海面を望むことが出来た、といわれています。
昭和25年(1950年)のジェーン台風で破壊され、昭和49年に、約200m
東の、現在の国道26号線の西側に、石垣の基壇をそのまま移設して復
元され、当時の姿を忍ばせています。
[住吉の高灯篭]での風景は 「こちら 
(3) [ 細江川〜住吉川 ]
細江川の左岸を歩きながら大阪市内南部の河川の歴史を考えました。
今から300年前までは、大和川は、奈良県の長谷付近に端を発し、
奈良盆地を流れて、大阪府の東部を幾筋かの川に分かれて流れてい
ました。そしてこの部分では、上流で侵食された土砂が次第に堆積し、
よく氾濫を起こしたものでした。
そこでこれを見かねた住民が、ついにこの川を付け替えることを決断
し、現在のように柏原市からほぼ西に向かって流れる新しい水路、即
ち現在の大和川が出来たのです。しかしこの結果は、大阪市内南部
の平野川、駒川などの河川が、上流からの流れを断ち切られるところ
となり、また大阪湾の西の浦あたりを、新しい大和川の運んでくる土砂
細江川
埋め立てられるという別の現象を引き起こしたのです。そして大阪湾の
水際は、次第に西の方に移っていったのです。
細江川はもともと大阪市南部の農業用の舟運の水路であり、穀類
をこの水路を使って船で運搬していたようですが、これも先の現象で、
末端が土砂で埋められたのです。止むを得ずこの水を大阪湾に流す
ため、現在の住吉川が人工的に作られました。また、新しい大和川
が運んできた土砂で、住吉、住之江地区には新しい田畑が生まれま
した。その収穫のために新しい水路も必要になりました。
ちょっと前まであった十三間堀川は、このために河村瑞賢が木津川
と大和川を結んで水を通し農業用に設けた水路であったとされていま
住吉川
す。
( 画像をクリックすると大きい画像が見られます)
[ 都市化の進展と親水空間 ]
大阪市のようなところは、農業から次第に工業化が進み、人口が集中した結果、農業用の水路は必
要ではなくなりました。今まであった、しかし上流からの流れが断たれた小河川は汚濁が進みました。
人々は、このような汚れた川を好まないのです。しかしまた水に親しめるための親水空間は欲しいの
です。
大都市の河川行政は、このような市民の要望に応えるため、汚れた川を埋め立てて、都市活動のた
めの道路用地に変える(十三間堀川が阪神高速道路に)代わりに、同じ場所に人工のせせらぎを設け
ました。また細江川も汚れてしまったので、川の流れを暗渠に変える代わりに、その上に団地の中を流
れる人工のせせらぎを造りました。住吉川も同じようにせせらぎを造ったり、堤防に遊歩道を作ったり、
桜などを植えて緑化したりして市民に憩いの場を提供しています。
[ 都市化の進展と下水道 ]
農業用の水路となった小河川、しかし雨の水は田畑を潤し、ゆっくりした速度で小河川に流れ込み、
やがては大阪湾に流れていたのです。ところが、都市化が進み、小河川が姿を消し、しかもコンクリート
で表面の多くが覆われた都市の地面は、雨の水を浸透させる能力がありません。雨の水は、直ちに残
された河川に流れ込む以外は下水道で収容しなければなりません。
このような意味で、昔の河川に変わる役割を持って発展してきたのが、下水道です。都市を衛生的に
に保つための汚水処理、降ってくる雨の水を、都市に溢れさせないよう、川に代わって収容するための
雨水処理、下水道はいまや都市の最も重要な施設となっているのです。
最後がこの下水道の2つの役割を担う、住之江下水処理場と住之江抽水所の見学です。
(4) [ 住之江下水処理場 ]
住之江下水処理場は、昭和39年12月に大阪市で6番目に完成した
最南部の下水処理場です。
処理区域は、住之江区全域、住吉区の大部分、東住吉区、西成区、
阿倍野区の一部で、処理面積は3,197haに及んでいます。
処理場の敷地面積は86,845m2、現有処理能力220,000m3/
で、処理した下水は住吉川に放流されています。
       住江下水処理場の概要、見学風景は 「こちら
大阪市都市環境局パンフレット
(5) [ 住之江抽水所 ]
大阪市は、上記で延べたように、市域の大部分が淀川や大和川
の土砂堆が積した所で、地盤が低く、排水問題は古くからの懸案で
ありました。
東南部地区において、この排水問題対策として取り組まれたのが、
平野〜住之江下水道幹線、いわゆる「なにわ大放水路」で、昭和
60年3月着工、15年余の歳月をかけ、平成12年4月に完工した
大工事でありました。
下水道幹線総延長12,2km、最大管径6,5mで、これは大阪市最
大であります。
住之江抽水所は、この幹線に集められた流入水を住吉川に排除
する施設で、口径2,2mの主ポンプが6台設置され、計画排水量は、
大阪市都市環境局パンフレット
毎秒73m3と大阪市最大級の抽水所であります。
  住之江抽水所の概要、見学風景は 「こちら
担当の方の説明で
『今年2004年は、大阪への台風襲来も数多く有り、この大阪南部の平野川流域(旧大和川流域)も
度々浸水の危険に見舞われました。しかし、お陰様でこの「なにわ大放水路」が雨水を飲み込み、溜
め込んでくれましたので、被害を起こすことがなく、所員達はホットしています。』
とのお話に深く感激しました。
[ 見学会に参加された皆さん ]
              住之江抽水所屋上にて      (H16-11-4)
以上、「平成16年度第3回見学会」の報告です。沢山のご参加有難うございました。
CVV見学会担当一同