10 落合上渡船場(おちあいかみとせんじょう)

  津守駅で下車した後、西成高校の前を通って、落合上渡船場へ向かいます。
  木津川沿岸のこの辺りは、かつては農村地帯でしたが、大正時代以降、大阪市の
 拡大と共に、繊維・鉄鋼・造船などの大工場が立地繁栄しました。 しかし、石油ショ
 ックによる産業構造の変化等により、工場等が撤退し、空き地や倉庫等がふえました。

  落合上渡船は、大正区千島1丁目と西成区北津守4丁目の間を流れる木津川
 100mを渡る渡船で、1時間に4往復している公営の渡船です。朝夕は、自転車通学
 の高校生でいっぱいになりますが、昼間は、閑散としています。

  大正区側は、旧町名を、「新炭屋町(しんすみやちょう)」と言い、宝暦13年(1763年)に、
 大坂瓦町居住の炭屋三郎兵衛によって開発された「炭屋新田」のあったところです。

   
                 「落合上渡船場」説明パネル


                             渡しの様子

       
                       時刻表

  また、関西随一の木材市場を支えた「大正運河」(現在は埋め立てられ千島公園の
 下になっています)の木津川の入口は、 この渡しの南側にありました。


◎ 大正運河

  大正運河は、大正12年(1923年)から47年間、木津川と尻無川を結んで利用されて
 いた運河です。

  千島町から小林町、新千歳町へかけて土地を所有していた芝川一族の千島土地株
 式会社が、大阪木材市場土地株式会社と協力して、木津川と尻無川を結ぶ運河の
 開削を計画し、大正8年から岩田土地も加わって工事を始め、大正12年(1923年)6月
 に完成しました。
  主に木材業者の繁栄に寄与しましたが、昭和45年(1970年)に埋め立てが完了しました。
  大正運河があった名残として、東側から千島公園に入る辺りに、運河を跨いでいた水
  道管が通っています。