[ 戎橋 ]
( えびすばし )
[ EBISU BRIDGE ]
心斎橋筋の道頓堀川に架かる橋である。
大阪ミナミの中心、若者の間では別名「ひっかけ橋」ともいわれ、一日中多くの人々の出会いの場として
賑わう戎橋は、道頓堀川の開削とほぼ同時に架けられたと考えられる。橋名の由来は今宮戎との関連が考
えられるが定かではない。また戎橋は、橋の南側に操り芝居の小屋があったことから操橋(あやつりばし)と
よばれたこともあった。さらに明治維新の直前、慶応3年(1867)に幕府が“戎”という外国人をさげすむ言葉
の使用を禁止、一時的に永成橋と改名されたこともある。
戎橋は今宮戎への参道にあたり、また千日墓地への墓参や橋の南側にできた芝居小屋や遊郭などの遊
興地へ行く多くの人々に利用されてきた。橋の維持管理は周辺の町が担当。記録によると元禄7年(1694)
の修理工事から明治11年(1878)に鉄橋に架け替えられるまでに13回の修理および架け替え工事が行われ
た。その後、大正14年(1925)には花崗岩で化粧された鉄筋コンクリートアーチに架け替えられたが老朽化
のため撤去された。
現在の戎橋は国内外を対象にデザインコンペを実施し、その最優秀作品に基づいて整備されたもので平
成19年11月(2007)に完成している。円形を基本とした橋上広場で劇場性を表現しつつ、広場に沿ってスロ
ープを取り入れることで、水辺へ降りながら移りゆく景色を眺める楽しさなどを演出している。近くのグリコの
看板とともに大阪ミナミのシンボルの一つといえよう。

全景 (下流側) (船上から)
全景 (下流側) (右岸遊歩道から)
全景 (上流側) (右岸遊歩道から)
高欄
高欄柱と橋名 (左:漢字、右:ひらかな)
「戎橋」桁下(天井)
上流側 遊歩道への出入口 (中間部)
上流側 遊歩道への出入口 (左岸南詰)
橋上面 (北詰から)
橋上面 (南詰から)
戎橋銘文
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高欄の寄贈碑鈑
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