[ 天神橋 ]
( てんじんばし )
[ TENJIN BRIDGE ]
松屋町筋の大川に架かる橋である。
天神橋は文禄3年(1594)に架けられたと伝えられ、当初は橋の名はなく新橋と呼ばれていたが、天満天神
社が管理することからしだいに天神橋と呼ばれるようになったという。 天神橋の架設は上町台地と大坂の
北部方面を結ぶという意味で大変重要なできごとであり、特に後に天満組となる現在の北区の一部の発展を
約束するものであった。
橋が地域を結びつける上でいかに重要な役割をはたしているかは、戦争の経過を追うとよくわかる。大塩
平八郎の乱の発生を知った幕府はいち早く三大橋をこわし、反乱軍を防ごうとした。ここでも大坂を南北に
結びつける橋の存在がクローズアップされている。 明治18年7月(1885)初めに大洪水により淀川筋の橋は
次々と流されたが、その直後に鉄橋化されることになり、天神橋には、ドイツからの輸入品で長大スパンの
ボーストリングトラスが用いられた。
現在の天神橋は中之島の剣先に架けられ、昭和9年5月(1934)に完成したものである。低い軽快なアー
チは剣先公園の風景によくマッチし、水都大阪の代表的な景観を形造っている。主要部の形式は三連の
鋼2ヒンジアーチで、両端にはコンクリートのアーチを置き、全体のデザインを引き締めている。
昭和62年(1987)、剣先側にらせん形のスロープが設けられると同時に美装化がなされ、遣唐使船の陶板
ブロックや天満宮所蔵の天神祭絵巻を模写した絵陶板が飾られている。

全景 (上流側) (船上から)
堂島川の架橋部分
アーチ橋脚部
アーチ構下部
アーチ構頂部
橋端のコンクリートアーチ部
道路面 (北詰)
歩道部
高欄柱の橋名(漢字)
高欄柱の橋名(ひらかな)
「天神橋」橋名飾板(鋳鉄製)
橋名飾板説明碑
(画像をクリックすると拡大して見られます)
天神橋橋歴碑
(画像をクリックすると拡大して見られます)
橋中央部の中之島公園出入り階段
階段の壁に填め込まれた「天神祭絵巻」の絵陶板