[ 栴檀木橋 ]
( せんだんのきばし )
[ SENDANNOKI BRIDGE ]
土佐堀川に架かる橋である。
江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が建てられ、両岸の連絡用として土佐掘川には江戸時代初期から
多くの橋が架けられていた。栴檀木橋もそうした橋の一つであった。橋名の由来は『摂津名所図会』ではこ
の橋筋に栴檀ノ木の大木があったためとしているが、詳らかではない。江戸時代の絵地図を見るとほとん
どのものにこの橋が画かれており、洪水などで流失したわずかな期間を除いて、ほぼ全期間存続していた
と考えられる。
明治になっても木橋のままであった栴檀木橋は明治18年(1885)の大洪水で流失してしまう。しばらくの
間、橋は再建されず、再び架けられたのは大正3年(1914)のこととされる。これは明治37年(1904)に、大
阪府立図書館が建てられ、明治末には大阪市庁舎の建設が決定されるなど、橋が再び必要となっていた
からと思われる。
その後、昭和10年(1935)に架け換えられた。桁は高さが約1mの等高でシンプルな美しさを強調した設
計である。このシンプルな構造美を当時の設計者は理想としていたようである。
昭和60年9月(1985)、新しい橋に架け換えられたが、旧橋のイメージを大切にしながら橋面などは府立
図書館や中央公会堂など、背景にある歴史的建築物との調和を考えてデザインされた。橋詰に由来碑や
大正時代の親柱、先代の橋の橋名板やセンダンの木のリレーフなどが展示され、橋の歴史が一目でわか
るようになっている。

全景 (上流側から)
側面 (上流側)
側面 (下流側)
桁中央部
桁下部
高欄柱の橋名(漢字)
高欄柱の橋名(ひらかな)
大正時代の高欄親柱
左側面(栴檀の木)
昭和初期の橋名板
「栴檀木橋」説明碑
裏面
( 画像の説明文部分をクリックすると拡大して見られます )
説明碑に埋められた写真 ( 画像をクリックすると、それぞれ拡大して見られます )
橋上道路面 (南詰から北方向)
橋上道路面 (北詰から南方向)
上流側歩道

[ 栴檀樹 ]
橋の南詰に植えられている栴檀樹