[ 心齋橋 ]
( しさいばし )
[ SHINSAI BRIDGE ]
心斎橋筋で、元の長堀川に架かっていた橋である。
地下鉄の駅名にもなっている心斎橋は、元和8年(1622)、長堀川の開削と同時に架けられたと考えられ
る。新町の遊郭や道頓堀の芝居が隆盛になるにつれ、その橋筋も栄えていった。木橋であったため、橋の耐
用年数は短く、また洪水・火災の被害を受けやすく、頻繁に架け換えや補修工事が行われた。幕府の管理す
る橋ではなく橋筋の町の管理する橋であったため、町民の負担はかなりのものであったことが当時の記録か
ら推定できる。
明治6年(1873)に橋長36.7m、幅員3.9mのドイツから輸入された弓形の鉄製トラス橋が架けられ、人々
の注目を集めた。長堀通の市電敷設工事に伴い明治42年(1909)に、大阪ではじめての石造りアーチ橋
架け換えられた。ガス灯がともされ、別名「眼鏡橋」と呼ばれ、市民に親しまれた二連アーチの橋も、長堀川
が昭和39年(1964)に埋め立てられたときに撤去されてしまった。その後、周辺住民の熱い要望にこたえ、
長堀通り、ソニータワー前に、保存されていた高欄や照明灯を利用復元し、心斎橋歩道橋として蘇った。しか
し、通りの地下に地下街・クリスタ長堀が完成したことから歩道橋も撤去され、ガス灯や石造りの高欄は地上
部に復元されている。
なお、明治6年(1873)に架けられたドイツ製のトラス桁は市内の橋として度々利用されたのち、現在は鶴
見緑地の「緑地西橋」の高欄の外側に保存されている。

長堀通りの「心斎橋」碑
心斎橋の歴史
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( 江戸時代の「心斎橋」 )
江戸時代の木橋

( 明治6年架橋の「心斎橋」 )
明治6年の鉄橋
錦絵「心斎橋真写之図」(長谷川小信画)
明治6年製の「心斎橋」の遺構が保存されている鶴見緑地の「緑地西橋」の説明碑鈑
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緑地西橋
全景 (北側)
全景 (南側)
主構部
斜景
橋座部
緑地西橋高欄柱(漢字)
緑地西橋高欄柱(ひらかな)

( 明治42年架橋石橋の保存遺構 )
明治42年の石橋
長堀通りの「心斎橋」跡
保存されている石造高欄 (西側)
保存されている石造高欄 (東側)
高欄のガス灯
高欄の橋名(漢字)
明治四十ニ年十月
高欄の橋名(ひらかな)
石工の碑
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「ガス灯の原理と歴史」碑
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