[ 源八橋 ]
( げんぱちばし )
[ GENPACHI BRIDGE ]
大川に架かる橋である。
大川(旧淀川)に架かる源八橋は、昭和11年(1936)に初めて架けられたが、それ以前には江戸時代初期
からの長い歴史をもつ”源八渡”があった。与謝蕪村はこの渡しを”源八をわたりて梅のあるじかな”と詠ん
でいる。右岸の天満側は大坂城代配下の役人の官舎街、左岸の都島区側は農村地帯であったが、京街道
に近いため多くの利用者があったと思われる。
都島区一帯は明治に入ってものどかな田園風景がみられたが、昭和10年(1935)に城北運河の開削によ
って、周辺の工業開発がにわかに進んだ。源八橋は、昭和7年にスタートした第二次都市計画事業として架
橋されたもので、昭和9年(1934)8月、工事に着手、11年6月に完成している。
橋の形式としては、6径間のゲルバー式鋼鈑桁が採用されている。また、このあたりは比較的地盤条件
が良く、長いものでも8メートル、短いものでは3メートルの松杭の基礎が橋を支えている。新しい橋の名前
をつけるにあたっては、由緒ある”源八”の名前を残すよう地元からの強い陳情があって、この名が採用さ
れた。
昭和30年代後半から自動車が急増し、源八橋も交通渋滞が常態化したことから、昭和46年(1971)にな
って東行きの左折レーンを増やすため、橋の半分だけが上流側へ拡幅された。

全景
ヒンジ部
橋名板
東行き上流側への拡幅部
高欄柱の橋名
橋中央の高欄に掲出された「源八橋」由来
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