[ 相合橋 ]
( あいあうばし )
[ AIAU BRIDGE ]
相合橋筋の道頓堀川に架かる橋である。
ここに橋が架けられたのは1680年代で、架設当初は中橋あるいは新中橋とよばれていた。宝永4年(1707)
初演の近松門左衛門の『心中重井筒(しんじゅうかさねいづつ)』の一節にも中橋として登場している。
相合橋と名付けられた時期は不明であるが、橋の南側は最近まで町名を東櫓町、西櫓町といったように
芝居櫓が立ち並ぶ芝居町であった。一方北側は川筋の宗右衛門町はお茶屋町、橋筋には俗に六軒町と呼ば
れた遊郭があった。このように橋の周辺は大変華やかな雰囲気があり、「相合橋」という艶のある名前がつけ
られたのであろう。しかしこの橋は、渡ると男女の縁が切れる”縁切り橋”ともいわれ、遊里の人々は橋を渡る
のを嫌った。また婚礼の行列もこの橋は渡らなかったらしい。橋の規模は、江戸時代前期には橋長40.5m、
幅員3.9m、明治14年(1881)の記録では橋長41.1m、幅員5.8mと幅がかなり広くなっている。
相合橋が永久橋化されたのは昭和37年(1962)のことで、昭和58年には橋の幅を両側へ大きく拡げ、橋の
上に憩いの広場が設けられた。
そして、平成23年(2011)には川沿いの遊歩道への階段整備とともに橋面改装工事が実施された。

全景 (下流側) (船上から)
全景 (上流側)
全景 (下流側)
高欄柱 (橋名:漢字)
高欄柱 (橋名:ひらかな)
照明灯 (橋名:漢字)
橋上面 (南詰から)
橋上面 (北詰から)
「相合橋」碑
「相合橋」碑文
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[ 「相合橋」北詰東角の碑 ]
「盛り場を むかしに戻す はしひとつ」 (食満南北) 
碑の裏